【役立つ豆知識】なぜ台湾原住民族はキリスト教に改宗したのか?

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クリスマスの朝、LINEのとあるグループで未読メッセージ数が100件を越えていた。
一体何事かとチャットを開いてみると、祝福のメッセージやら画像やら動画で溢れかえっていた。未だかつて見たことのない盛り上がりに驚きおののいた。
そう、これは台湾原住民族のLINEグループだったのだ。
(恐れながら筆者も原住民族の末裔として参加させていただいている)

上述の出来事が示すように、多くの台湾原住民族はキリスト教信者です。
でも、なぜこんなにも多いのだろう?
台湾→中華圏→儒教か仏教じゃないの?

気になって調べてみたのが、この記事を書くきっかけでした。

龍山寺や行天宮、保安宮など有名な寺院に訪れたことのある方は、台湾は仏教徒が多いのだなと印象を持ったかもしれません。
仏教徒が多いのは確かですが、キリスト教徒も一定の割合いて、しかもその内ほとんどが台湾原住民族だということご存知でしょうか?

きっと台湾の宗教に興味を持たれた方も多かれ少なかれいるだろうと思い、そんな方向けてシェアできればと思っています!

この記事を読むことで、

  • 台湾の宗教事情がわかる!
  • 台湾にキリスト教が広まった経緯がわかる!
  • 台湾原住民とキリスト教の関係がわかる!

それでは、本編スタート!

数値でみる台湾の宗教状況

大枠の感覚を掴んでいただくために、まずは数値で台湾の宗教状況を見てみましょう。

CIAのザ・ワールド・ファクトブックによると、台湾における宗教の割合は

仏教・・・約35%

道教・・・約33%

民間信仰・・・約10% ※儒教など

その他・・・約18% ※無宗教など

キリスト教・・・約4%

となっています。

台湾総人口が約2,340万人いますので、単純計算でキリスト教信者数は約93万人いることになります。そして、93万人のうち台湾原住民が占める割合は、なんと約70%!!

(ちなみに日本におけるキリスト教信者の割合は、約1%だとか)

キリスト教伝来

では、台湾にどうやってキリスト教が伝来し、浸透していったのでしょうか?
ある時代に一度に一気に広がったわけではなく、何回か段階を踏んで人々の生活に馴染んでいったのです。
ここではわかりやすく大きく3つのフェーズで説明します。

第1期

大航海時代(17世紀)にスペインから天主教(カトリック)、オランダから基督教(プロテスタント)が伝道したといわれています。

スペインは北部、オランダは南部から布教伝道を始めました。自国から何十人もの宣教師を派遣し、台湾原住民も含め数千人単位の改宗に成功したといわれています。
宣教師の中には日本人もいたのだとか。当時、日本ではキリシタン禁制だったため台湾での布教活動に参加したと考えられています。

第2期

順調に思われていた宣教活動も、中国大陸の勢力が台湾島に及んだことにより約200年間途絶えてしまいました。活動が再開したのは19世紀半ばごろ。

スタートを切ったのは、当時世界の覇権国家と呼ばれたイギリスでした。
プロテスタントの最大派閥であるイギリス長老会から、現在の台南に宣教師を派遣。医療活動と伝道を並行して行っていました。

カナダからも台湾北部に宣教師が派遣され、同じく医療伝道活動に従事しました。

両国とも宣教師兼医療従事者であったことが共通しており、後に台湾社会に西洋医学が徐々に導入されていきました。また、伝道の三点セットである「教会・学校・病院」の設立にも大きく貢献したともいわれており、台湾キリスト教の総本山である「台湾基督長老教会」が成立したのは、ちょうどこの時期です。

第3期

「二十世紀における神の奇蹟」と呼ばれるくらい、伝道活動が隆盛を極めました。

台湾が日本の統治下(1895~1945年)にあった時代、西洋勢力が台湾から撤退したあとも、台湾基督長老教会がミッションを引き継ぐかたちで、活動は活発化していきました。また、日本の聖公会、聖教会や中国大陸経由で真耶穌教会からも多くの宣教師が派遣され、布教範囲は間違いなく拡大。

第二次世界大戦後、中国語大陸で共産党政権ができると、中国を活動拠点にしていた教会や信者たちが避難するように台湾に移入してきます。
そうして、伝道活動はさらにブーストされ全人口の約4%を占めるまでに至りました。

【人物紹介】キリスト教伝道に貢献した井上伊之助

台湾にキリスト教が浸透した経緯と歴史を説明しましたが、キリスト教信者の中で台湾原住民族が最も多いのには、 一人の日本人宣教師の活躍があったからです。

井上伊之助(1882-1966)の活躍した時期としては、前述でいう第3期にあたります。
高知県出身の彼は上京し、東京神田の教会で初めてキリスト教と出会いました。 聖書学院に入学し本格的に学び始めた頃、台湾の花蓮県に勤めていた父親(井上爾之助)が、台湾原住民族の太魯閣族(以下、タロコ族)に襲われ亡くなったという訃報が届きました。
このことをきっかけに、台湾原住民への伝道を決意したといいます。

台湾でのキリスト教布教に尽力した井上伊之助の写真
台湾での原住民伝道に尽力した井上伊之助(1882-1966)
台湾でのキリスト教布教に尽力した井上伊之助の写真
台湾でのキリスト教布教に尽力した井上伊之助

千葉県で伝道活動の傍ら病院で医療技術を身に着け、1911年に初の渡台。 泰雅族(以下、タイヤル族)の集落にある療養所で働き始めます。 当時、総督府から伝道活動の許可が下りなかったため、 表向きは医師として密かに伝道活動をしていました。 タイヤル族の研究を進めていく中で、彼らのアミニズム(タイヤル語でウットフ)信仰とキリスト教の神観念が似通っていることを発見します。 キリスト教への受容性が高いことがわかったのです。

第1に、先住民族の間には偶像がない。
第2に、幼稚ながらも宗教心があって、一神教に近いウットフという霊神があると信じている。
第3に、偽りや盗みをせず、男女間の貞潔も固いが、これは人が見ていなくも神が知っているからである。
第4に、死後はウットフのもとに行く。またその際、虹の橋を渡って先祖たちや死んだ人にあえるという信仰がある。

台湾先住民族とキリスト教伝道 ―とくにタイヤル族の長老教会について―(金子昭) 2016年3月26日

つまり、台湾原住民の神観とキリスト教の神観の類似性が高いことから、受け入れられやすいと考えられたのです。このことを総督府の上官に報告するも一向に許可は下りず、6年後の1917年に病気のため一時帰国。 1922年、リベンジで2回目の渡台。タイヤル語をゼロから学び、日本基督教会にて伝道活動に従事。

一生懸命に活動していることをよそに、政府からは要注意人物としてブラックリストに載っていたそうです。 井上はタイヤル族のことを国内に知ってもらおうと書籍の出版、講演、ラジオ放送で情報発信をしますが、あるラジオ局から出禁にされ、同時に勤務先の台湾の病院をクビになります。 (向かい風ハンパないって)

しかしそこでめげず1930年、現地開業試験に合格し台湾戻れることに。医療伝道活動を再開します。 そのときのことを井上はこのように述べています。

どんなことがあっても神を信ずる者にとっては『すべてのことが働いて益になる』

井上伊之助

再開したのはよかったのですが、山地での生活環境は厳しく、結核・マラリア・感染症などが蔓延し伝道活動どころではなかったそうです。原住民の集落での往診は数千回に及んだそうです。 その間、子ども5人中3人を亡くしたそうです。それくらい過酷な環境でした。

タイヤル族の診察をする井上伊之助
タイヤル族の診察をする井上伊之助

第二次世界大戦が終わり、台湾での伝道活動はやむなく終止符を打つことになりました。
そんなハードな人生を歩んだ彼に神様からのご褒美が。

中国大陸や欧米から宣教師が来台、神学校で学んだタイヤル族の若者が井上の伝道活動を引き継ぐかたちで担い手になりました。 井上のことを知った葉保進(タロコ族の第一代牧師)から「多くの原住民(タイヤル族)がキリスト教信者になりました。集落にはたくさんの教会が立っています」との手紙が届きました。

このことについて、井上はこのように述べています。

五十年間の祈りと使命は果たされた。自分に不可能であったことが、神御自身とえらばれた他の人によって成しとげられたのである。神は織りたもう。トミーヌン・ウットフ。神は台湾の民族を、日本人も世界人類も見事な織物として救い聖化し給うことを信ずる

井上伊之助

父親の仇である原住民を恨むのではなく逆に原住民を救おうとした(医療面、精神面から)彼の生き様には、強い覚悟と愛情を感じます。
台湾のキリスト教信者の中には、彼に感謝しているという声もあります。

現代の台湾原住民とキリスト教

今では聖書は17の原住民族語に翻訳されていたり、各集落に教会が必ずは1拠点あるようにインフラが整っており、原住民族にとってキリスト教は身近な存在となっています。
実際、筆者もいくつかの集落を回り教会が当たり前のようにあったことを覚えています。

太魯閣渓谷登頂時、同伴のアメリカ人が撮影。カトリック教徒にとっては嬉しい発見だった
桃園のタイヤル族の集落にあるユニーな教会。台湾で最も美しい石造りの教会『桃園原住民部落基国派教堂

他にも教会は物心両面のケアなど、原住民にとって生活の支えになっています。
たとえば、大都市に暮らす原住民は激しい競争にさらされ安定した生活を送れず、心身にストレスを抱えることが少なくありません。
そんな彼らに無償で食料を提供したり、メンタルケアをしてくれるのが教会です(もちろん原住民に限りませんが)

最近では礼拝に歌や踊りを取り入れるなどアレンジされたりしているようです。

クリスマスのイベントでも大盛り上がり

さいごに

まとめます。
ズバリ、台湾原住民にキリスト教が浸透した理由は

  • 台湾原住民の神観とキリスト教の神観念が類似しており、受け入れやすかったから
  • 宣教師のたゆまぬ努力があったから
  • 教会の手厚い支援があったから

といえるでしょう。

信仰のかたちは世代を超えて少しずつ変化していることも台湾らしさを感じます。

井上伊之助を紹介したパートで出てきたタイヤル族の宗教観については、以下の記事でも紹介していますので、気になる方はぜひチェックしてみてください。

ここまでお付き合いいただきありがとうございました!
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それでは、次の記事でまたお会いしましょう~