京都の八条エリア、東寺から少し西側の住宅地にたたずむ画廊ーギャラリー「漉亩(すくも)」。門を潜り抜けると、侘び寂びを感じる絵に描いたような庭園が目の前に広がります。
ギャラリー「漉亩」では台湾原住民の伝統工芸を展示する企画展”臺灣展”が、2023年9〜10月の約1ヶ月間行われました。
今回、主催者であり染師でもあるモウさんに展覧会の開催に至った経緯をインタビューしました。
インタビューした人
青乃助藤妄(モウ)
兵庫県相生市出身。2017年徳島藍住町・矢野藍秀氏に師事。同年、京都で天然灰汁醗酵建てを守る染め場を持つ。「再生衣服」衣服の染め直し、workshopを中心に魔除けをテーマに藍で作品作りをしている。
2024年、gallery「る」内へ染め場を移転、春に新しい染め場での活動再始動。その近くでgallery「漉亩」も運営し、年に数回、亜細亜・手仕事をテーマにした企画展を開催。
青乃助藤妄 @awo_fujimou
漉亩 @sukumo______jia
人との出会いから思いがけずはじまったギャラリー
– 今日はよろしくお願いします!さっそく、ここでギャラリーをはじめたきっかけを教えてください!
モウさん:よろしくお願いします!
学生時代、自分が会社勤めに向いていないと思っていました。そこから何か手に職をつけて個人で仕事ができたらなと。学生時代に染色の勉強をはじめたのですが、染色のなかで一番惹かれたのが藍染だったんです。藍染を独学で習得し、自分の工房を持つことにしました。
1年で藍染できる期間ってが4〜5ヶ月間くらい。それ以外の期間、どう稼ごうかなって。そこでゲストハウスも同時にオープンすることに決めました。
ある日、ゲストハウスに中国の方が泊まりに来たんですけど、まさか会った初日にその方と仲良くるとは思いもよらず。この出会いがギャラリー「漉亩」のはじまりでした。
中国茶・台湾茶販売を生業としていた彼女は、店舗の物件を探すために京都へ来ていたんです。仲良くなったよしみで物件探しを手伝っていたとき、この物件を見つけました。
見つけたところまでは良かったけど、飲食営業できないことが発覚して(笑)
それでも「ここで何かやりたい!」と彼女の強い気持ちに感化されてしまい。いろいろ考えた末、ギャラリーという建て付けなら無料サービスの範囲内でお茶を出すせるとわかり、ギャラリーをやろうという話になりました。
– 人との出会いからはじまったギャラリーだったんですね!でも、今はモウさんが中心となってギャラリーとシェアハウスの運営をされていますよね?
モウさん:それにも訳があって。このギャラリーが完成したのが2020年の春頃、ちょうどコロナが流行る前でした。オーナーである彼女が一時中国に帰国したのですが、その直後に入国規制がかかり京都に戻れなくなったんです。
現場に本人がいないので何もできずギャラリーを全然動かせない状況になってしまい。そんなとき彼女から「ギャラリーの運営をお願いしたい」と頼まれたんです。
そうして、ギャラリーを運営をすることになり今に至ります。
コロナ禍で決まったギャラリーの名前
– ギャラリー「漉亩」の名前の由来って何ですか?
モウさん:コロナ禍で集まれないなか、立ち上げメンバーの間で「ギャラリーの名前、何にする?」って、メッセージでやり取りしていました。私が藍染をやっていたこともあり「蒅(すくも:藍染の染料)」という言葉を紹介したら、オーナーがすごく気に入ってくれて。しかも、立ち上げメンバー(3人)の名前の頭文字を並べるとちょうど「すくも」になることがわかり、満場一致で名前が決定。
漢字の「漉」はさんずいに鹿という文字が使われています。水の流れと動物の命の温かさを表現できるなと思い、選びました。
「亩」は、日本にはない漢字で中国語の簡体字なんです。日本語の畝(うね)と同じ意味なんですけど、漢字が家のようなかたちをしていて、「田」の字が入ってて土を感じる。音の響きも「む」と「ま」の間の「も(中国語の発音)」だったこともあり、この字に決めました。
– このギャラリーにぴったりなネーミングですね。今までギャラリーではどんな展示をしてきたのでしょうか?
モウさん:わたしの個展や、藍染仲間と共催で展覧会をやったこともあります。それ以外にも内モンゴル出身の作家さんの展示もしました。
わたし自身、作家なので手に関わることに心惹かれます。国にとらわれずギャラリーではアジアの手仕事を展示したり、関連イベントができたらいいなと思っています。
2年越し!悲願の”臺灣展”開催が実現
– 元々、モウさんと台湾にはどんな接点があったのでしょうか?
モウさん:学生時代にシェアハウスをしていたときに一番仲良くなったハウスメイトが台湾人でした。恥ずかしい話、それまで台湾のことを知らなくて(笑)
ハウスメイトと仲良くなってからはどんどん台湾に興味関心を持ちはじめ、台湾によく行くようになりました。
– ”臺灣展”では台湾原住民の伝統工芸を展示されていました。どういう経緯で展示することになったのでしょうか?
モウさん:ちょうどギャラリーが完成した頃、立ち上げメンバーのなかで何を展示するか話し合いました。台湾人のメンバーがいたこともあり台湾にリサーチしに行くことになったんです。そのときに拿鞘のお二人と出会いました。
民藝が好きだったこともあり、彼らの作品を見てすぐに引き込まれた。お二人と話していくうちに仲良くなり、「いつか日本で展示するときは『漉亩』を使ってください」と言い残して帰国。その直後にコロナになり、企画は中断されてしばらく経ちました。それからコロナが落ち着き、2年越しにやっと”臺灣展”の開催が実現しました!
予想外の大反響!”臺灣展”を振り返る
– ”臺灣展”を振り返ってみていかがでしたか?
モウさん:正直、やる前はめっちゃ不安でした。植物の葉でつくったカゴやバックって日本にもありふれているじゃないですか?台湾でつくったものだからってそんなに興味を持ってもらえるのかなって。
でも、そんな不安とは裏腹に多くの人がギャラリーに足を運んでくれました。予想外にInstagramのフォロワー数も倍に伸びて、台湾パワーに圧倒されています。
拿鞘にとっては日本で初めての展示だったので、華々しいデビューを飾ることができてとても嬉しかった。「良い”もの”」を展示すれば、こんな場所でも人が来てくれるってわかったことも学びになりました。これからは毎年”臺灣展”を開催しようと思っています!
– 今後の展望があればを教えてください。
モウさん:“臺灣展”は拿鞘を中心に作品展示をしていくつもりです。彼らを通していろいろなつくり手、作家さんとつながり、良い関係を築ければなと。今後、展示するものも増やしていきたいと思っています。
– 今後どんな作品が”臺灣展”で見られるのか楽しみです。今日はありがとうございました!
モウさんに聞く 日本と台湾 染め文化の違い
染師になり7年経ったモウさん。染師にとって異国の染め物に興味を抱くのは自然の流れ。日本と台湾の染めの違いについても話をしてくれました。
– 日本と台湾の染めの違いを教えてください。
モウさん:日本の染めは藍が濃ければ濃いほどかっこいいと言われています。最も濃い藍の色は「勝色」と呼ばれ、濃くなればなるほど黒ではなく赤みが増していき、光沢のある藍になります。
戦国時代、武士は下着など肌に直接触れるものは藍染を身につけていたそうです。勝色なので縁起が良いという理由と、消臭、抗菌、防虫効果などの効能から身体を清潔に保てるように。なので昔から日本では濃い藍染が定着していて、美しいとされてきました。
一方で台湾の藍染めは日本に比べ薄いという印象でしたが、鮮やかな色合いが多くてきれいです。染めの工程も日本と違い、一度にたくさんのものを染められるので生産効率がいいと思います。
それぞれのスタイルで伝える
近年、日本に台湾ブームが巻き起こっていることを、きっと多くの人は認知しているでしょう。しかし「台湾原住民」となると話は別で、かなりマニアックでニッチな領域。わたしは彼らの文化や営みを日本に広めたくてこのメディアをはじめました。
知人の紹介で知った”臺灣展”。ギャラリーに迎え入れ、気さくに話しかけてくれたモウさんが、台湾原住民文化への理解や興味関心が強いとわかり、とても嬉しかったことを今でも覚えています。
このような出会いを喜ばしく思うとともに、感謝し、大切にしたい。
そして、モウさんのような方とのつながりを増やしていき、それぞれのスタイルでいっしょに台湾原住民のことを伝えていきたい。
そんな”仲間”を見つける2024年にしたいと思います。
2023年12月取材